沿革

昭和4年4月5日 設立. 日本医学会の分科会として活動を続けている.
大正10年11月 東京寄生虫同好会として発足.
大正12年4月 東京寄生虫集談会と改名.
大正15年4月 日本医学会に日本衛生学微生物学寄生虫学連合会が発足.
昭和2年4月 第1回連合会開催(北里柴三郎会長).
昭和4年2月13日 日本寄生虫学会創立委員会開催. 同年4月第1回学術集会を開催(五島清太郎会長).

以来、昭和19~21年を除き、毎年1回の学術集会を開催. 現在に至る.

なお、昭和22年以降、関東部会をはじめとして地方部会が発足.

昭和29年以降、地方支部を北、東、西、南日本支部と呼ぶこととなり、毎年秋にそれぞれの支部大会を開催.

目的

寄生虫及び寄生虫学に関する学術の研究、進歩と普及を図ることを目的とし、機関誌の発行及び学術集会を開催する.

役員組織

役員として、理事長、理事、大会長、評議員、会計監事などがおかれている.  理事会は各支部より選出された13名と理事会から指名された2名の理事で構成されている.

会員数

2019年1月4日現在、終身会員 8、名誉会員18、評議員184、正会員391、学生会員147、団体会員3

集会

学術集会(毎年1回)、支部学術集会(4支部において毎年1回)開催.

機関誌

寄生虫学雑誌(Japanese Journal of Parasitology)を年6回発行していたが、平成 9年(第46巻1号)から、Parasitology Internationalと誌名を改め、英文の国際誌として年4回発行. この他に学術大会の抄録集を補冊として発行.

学会シンボルマーク

シンボルマークについて(「寄生虫学会50年のあゆみ」p.28より転載)

昭和53年の第47回日本寄生虫学会総会で,創立50周年記念事業のひとつとして,学会シンボルマークを制定することが決定され,学会員より図案を公募することとなった。翌年の第48回総会では,応募7点の図案について投票が行われ,2図案に票が集中した。

委員会では慎重審議の結果,2案のうちの1案を選定した。それは稲臣成一氏の考案されたものであった。委員会は同氏の了解を得た上で,専門家堀川 恭先生(愛知県立芸術大学教授)に細かい点の修正を依頼した。これが学会シンボルマークとして,昭和54年7月の幹事会で正式に承認され,寄生虫学会雑誌28巻5号に公表された。シンボルマークの利用については,幹事会で種々意見が交わされた末,寄生虫学雑誌の表紙に取り入れることと,ネクタイ止めおよびネクタイピンを作成して会員に有料で利用してもらうことになった。

(横川 記)

寄生虫学会マーク由来

最外層に北、東、西、南の各支部を表す4重線を、学会名の内側には波形の蛋白膜を有する回虫の卵殻を、その内層の左右には鈎形の構造を示す無鉤条虫卵のハーケンを、その中央には形態に特徴のある肝吸虫卵を,さらにその中にハマダラ蚊の頭胸部、そしてその胸部にはマラリア原虫のリングフォームを配置した物である。  これら回虫、無鉤条虫、肝吸虫、ハマダラカ、そしてマラリア原虫は寄生虫学の5大分野である線虫、条虫、吸虫、衛生動物、原虫の各代表として配置された物である。

2006.10.28
稲臣成一

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